飛び立った「アホウドリ」
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上の写真は、56年前に品田穣氏によって鳥島において実際に撮影された
「アホウドリ」の写真です。
この「品田穣の鳥島紀行」は、今から56年前 1964年 (昭和39年 )日本で第18回東京オリンピックが開催された年の12月に、気象庁の観測船「凌風丸」に便乗して船で鳥島に「アホウドリ」の調査に行かれた
品田穣 ( しなだゆたか ) 氏の実際の記録です。
その時、私は、大空を見上げていた。
口は、半分あいたままだ。
彼女は、海岸の崖近くで、風をフワリと捉えて空に浮かんだ。
そして、
力強く羽ばたいたと思ったら、空高く、風に乗って優雅に飛翔して行った。
ここで、この姿に到るまでの彼女の涙ぐましい様子を紹介する。
10m ほど坂を上った処から、彼女が元いた場所、そう、私がいる方に向って羽をバタバタさせながらヨチヨチと近づいてくる。
「何をするのだ?」
と思う間もなくダッシュしてくる。
彼女は、私の所に来るのかと思っていると、羽をバタバタさせたまま、目の前を通り過ぎていった。
そして、
20m ほど下った処で、急ブレイキをかけて止まった。
「どうした?」
すると、
また気を取り直したように、坂をヨチヨチと上ってくる。
私には目もくれずに、また10mくらい上った処で止まり、今度は、黒い瞳でじっと私を見ていた。
その目は、優しい潤んだ瞳ではなく、凛とした決意を秘めた瞳であった。
そう、
彼女は、飛び立とうとしていたのだ。
もう一度、
羽をバタバタさせながら、ヨチヨチと可愛い助走を再開して、
今度は、上手くいった。
海岸の崖近くの風をとらえ飛び上がり、
「フワッ」と空に浮かび、力強く羽ばたいた。
そして、
彼女は、大空に舞い上がった。
その飛翔の姿は、ヨタヨタとした可愛い彼女ではなく、美しく上品な、「空の女王」の姿であった。
口が、半分開いたままだった私は、
大空を見上げて、満面の笑顔になっていた。
次回は、「アホウドリ」との心の交流です。
この続きの、「品田穣の鳥島紀行」56年前のアホウドリとの出会い 9 」
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56年前に実際に鳥島に行かれた品田穣氏のプロフィールです。
⭐️ 品田 穣 ( しなだゆたか ) 氏 プロフィール
1932 東京都生まれ
1960 東京教育大学 ( 現 筑波大学 ) 理学部地学科
地質学鉱物学専攻卒業
1962 国立科学博物館 文部事務官
1963 文化財保護委員会
事務局記念物課 文部技官 研究職
1968 文化庁文化財保護部 記念物課
1974 東京農工大学 非常勤講師
1985 東北大学 理学博士
現在 東京農業大学客員教授
(財)日本野鳥の会 常務理事
🐥あの飛んでいる姿からは想像できない「アホウドリ」の姿です。
一度でいいから、あの飛翔姿を実際に見たいと願う私です。
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