「品田穣の鳥島紀行」 56年前のアホウドリとの出会い 9

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「アホウドリ」との、ふれあい

上の写真は、56年前に品田穣氏によって鳥島において実際に撮影された
「アホウドリ」の写真です。

この「品田穣の鳥島紀行」は、今から56年前 1964年 (昭和39年 )日本で第18回東京オリンピックが開催された年の12月に、気象庁の観測船「凌風丸」に便乗して船で鳥島に「アホウドリ」の調査に行かれた
品田穣 ( しなだゆたか ) 氏の実際の記録です。


鳥島での「アホウドリ」との、いや彼女との時間が残り少なくなって来た。

いつ頃、食事から帰って来たのだろうか。
彼女は、昨日の朝と同じように自分の巣に座っていた。

この日、彼女の行動にこれまでに無い変化が現れた。

私が、「おはよう」と言って彼女の側に座り
「今日は、側に居るから」と声をかけた。
今までと同じように私の方を見つめて、心なしか首を上にあげるポーズで応えてくれた気がした。
これは、
警戒を解いたポーズに違いない。武器になるくちばしを上にあげて、
「喉」と言う一番の弱点を、相手にさらす。

私を「信じているよ ! 」の意思表示ではないのか。
あの、多くの野生動物共通の行動なのだ。


「アホウドリ」だけではなく、「タンチョウヅル」も求愛行動でお互いに首をあげてダンスを踊る。
「ニワシドリ」などの小型の鳥の求愛ダンスも同じスタイルだ。
哺乳動物でも相手に弱点をさらした行動は、少なくても敵意のない証拠だ。
ネコが喉をさすらせたり、お腹を触らせるのも愛情表現。と言う事は、「私を攻撃しない」と表現しているのではないだろうか。


彼女が首をあげて喉を私に見せたのは
少なくても、親愛の表現に違いない。

どうやら、彼女と私の心は通じ合ったと思えた。

私は、彼女に親しみを感じながら、隣に座り込んで
今後の事を考え始めた。
「私は、彼女の仲間の「アホウドリ」が何とか平穏に暮らしていけるようにするには、どうすれば良いのかを調べるために、ここに来たのだ。」
改めて考え、思い直した。

一旦は、何万羽もいた「アホウドリ」は、人間に殴り殺され、羽毛布団にされて絶滅したと信じられていた。
しかし、
彼女の仲間たちは、幸運にもどこかで生き長らえていた子孫なのだ。
人間を代表して、贖罪のつもりで彼女の仲間たちを救わなくてはならない。
その為に、私は、ここにいるのだ。
もう、時間がない。
遊んでいるわけにはいかない。

鳥島を、本当にどのようすれば、「アホウドリ」の繁殖の手助けができるのかを改めて考えながら、周囲を見渡した。
そして、彼女に助けてもらう事を、思いついた。



🐥彼女の祖先の「アホウドリ」に対してひどい事をして来た人間を、あるがままに受け入れてくれる、彼女を、「アホウドリ」を、本当に、愛おしく思えます。



次回は、いよいよ最終です。

この続きの、「品田穣の鳥島紀行」56年前のアホウドリとの出会い 10 」
「やっぱり、ふり返った」は、下のところから、
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