「品田穣の鳥島紀行」 56年前のアホウドリとの出会い 1 

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アホウドリの孤島、鳥島へ

▲ 上の写真は、56年前に品田穣氏によって鳥島において実際に撮影された
「アホウドリ」の写真です。

絶滅宣言 ( 1949年 昭和24年 ) が出されていた
「アホウドリ」が1951年 ( 昭和26年 ) に
中央気象台鳥島測候所の職員によって再発見された。

その後、国は1962年 ( 昭和37年 ) に「アホウドリ」を
国の特別天然記念物に指定した。

当時 ( 1964年 昭和39年 ) 文化財保護委員会 
事務局記念物課に在籍していた
私、品田穣 ( しなだゆたか ) は、
「アホウドリ」を確認し、その分布図を作り
そして、繁殖を保護するためにはどうすれば
良いのかを調べる為に、鳥島に行く事になり
ました。

まだ、鳥の専門家が鳥島を訪れる前のこと
です。

鳥島は、東京から600kmの所にある無人島
( 1965年昭和40年から ) です。
島の直径は、約3km
ジョン万次郎が漂着した島で知られています。



気象庁の観測船「凌風丸」( 1180トン 全長69m ) に便乗して鳥島に向かいました。

ここでちょっと「凌風丸」について
当時、気象庁は「海を行く気象台」として「凌風丸」( 1180トン、全長69m )を所有していました。
この船は、1934年( 昭和9年 ) の室戸台風により甚大な被害をもたらされた事を教訓に1937年 ( 昭和12年 ) に、台風に挑戦する為に、凌波性も、復原力も満点、各種の気象観測、観測支援のため作られました。

1937年 ( 昭和12年 ) 7月24日の大阪毎日新聞には、
この船を、「彼女」と称して
「舷側は、真っ白に塗りあげて黒い横線を一本入れ
マストと煙突を黄色に、科学船にふさわしく清新なお化粧をする」
と、記事を載せている。

戻ります。
私、品田穣は、鳥島に向かうために「凌風丸」に乗船し、
1964年 ( 昭和39年 ) 12月上旬、東京の竹芝を出航しました。
鳥島に向かう途中、昼間は、甲板で寒い中、よく海鳥を見ていました。
途中どこにも寄港する事なく、船内で一泊したので、鳥島に着くまで24時間以上はかかったかと思います。
( 当時、東京から1000kmの小笠原には、52時間かかったので )

途中、凌風丸の船内で、北風が強まり、波が高い中「上陸できるかなぁ」と船員たちに脅かされながらも、東京から600kmを乗り越えて鳥島にたどり着きました。

鳥島に着いたのはいいのですが、上陸地点の「初寝崎」には一応船が入れる港はあるが、凌風丸は、1180トン全長69mもある船なので艀 ( はしけ–本船と波止場の間を行き来する小舟 )を使って上陸する事になった。
しかし、これがまた波が高い中で、本船から艀( はしけ)に乗り移ることが、命がけであることが判明したのでした。


続きは、次回に


この続きの、
「品田穣の鳥島紀行」56年前のアホウドリとの出会い 2 
「アホウドリの孤島へ、いざ上陸」は、下のところから、
Torishimakikou
 「品田穣の鳥島紀行 56年前のアホウドリとの出会い 2 」は、こちらから


🐤 品田穣氏とは、氏の著書「人類の原風景を探る」についての講演の際
ご縁を頂き、今日に至っています。


私のブログ開設の際には、悩んでいる私を元気づけて下さいました。
そして、たまたま、ブログの名前が「Albatrossの空」だったので、品田穣氏が、ご自身が56年前に鳥島に行かれ「アホウドリ」の写真を撮られた事を思い出されて、私に写真を送ってくださったのです。
そこから、この「鳥島紀行」のブログが動き始めました。

また、品田穣氏のプロフィールを紹介させて頂きます。

これからも、よろしくお願い致します。






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