アホウドリの孤島へ、いざ上陸
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上の写真は、56年前に鳥島において品田穣氏によって実際に撮影された
「アホウドリ」の写真です。
この「品田穣の鳥島紀行」は、今から56年前 1964年 ( 昭和39年 )日本で第18回東京オリンピックが開催された年の12月に、気象庁の観測船「凌風丸」に便乗して鳥島に「アホウドリ」の調査に行かれた、品田穣 ( しなだゆたか ) 氏の実際の記録です。
鳥島までの船旅ですが、船内で東大の医学部のインターンの人と気が合って、よく雑談をして過ごしました。
彼は、内科医の卵で「診断はどんな風にするの?」と率直に聞くと「内科は、わかりませんよ、座布団を10枚重ねて下に10円玉をおいて当てるようなものですから」と言われ、「まぁ、そんなものかな」と、思ったことが忘れられずにいます。
彼は、船に弱く酔い止めを飲んでいましたが、
私は、船酔いには強く薬のお世話にならなくても大丈夫でした。
▼ 下の写真が、鳥島の地図です。
鳥島に着いた。
凌風丸は、1180トン全長が69mもあるので、艀 ( はしけ )( 本船と波止場の間を行き来する小舟 ) で初寝崎の港まで行き上陸する事になった。
しかし、波が高い。
凌風丸から艀 (はしけ )に乗り移るには、波頭がせり上がって甲板 ( かんぱん ) ( 船の上部の広く平らな床、デッキ ) スレスレの高さになった時しかない。
ほんの一瞬で、また波頭が下がる。
すると、艀は数メートル下になってしまう。
まるで、二階の窓から下を見下ろす感じで、とても飛び移れない。
どうしても躊躇してしまう。
また、次の波が来て、波頭と甲板とが同じ高さになるまで待たなければならないが、なかなか同じ高さにならない。
同じ高さになったその時の、一瞬の判断がなかなかつかない。
そろそろ頂上かと思って待っていると、1mも下でまた下がってしまったりする。
波の大きさがマチマチだからだ。
何回か躊躇している内に、船員の
「今だ ! 」
と言う声に、決心して飛び移った。
飛び移ってみると、思っていたより簡単で、恐怖心を、封じ込める事が大切だとそのとき思った。
ホッとしたのもつかの間、今度は、艀から島に上陸する。
躊躇していられない。恐怖心を封じ込めて
「 いざ ! ! 」
波に合わせて岩に飛び乗った。
島に無事上陸したものの、「リュックが見当たらない?」と思ったら、
誰かが艀に投げ込んでくれていたらしく、艀から投げてもらった。
本当に、命が縮まる思いだった。
いや、もう、何年か命が縮まった気がする。
この日は、中央気象台鳥島測候所のゲストルームに泊まった。
この続きは、次回に、
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「アホウドリに逢えた」は、下のところから
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「品田穣の鳥島紀行 56年前のアホウドリとの出会い 3」は、こちらから
⭐️品田 穣 ( しなだゆたか ) 氏 プロフィール
1932 東京都生まれ
1960 東京教育大学 ( 現 筑波大学 ) 理学部地学科
地質学鉱物学専攻卒業
1962 国立科学博物館 文部事務官
1963 文化財保護委員会
事務局記念物課 文部技官 研究職
1968 文化庁文化財保護部 記念物課
1974 東京農工大学 非常勤講師
1985 東北大学 理学博士
現在 東京農業大学客員教授
(財)日本野鳥の会 常務理事
🐤次回は、いよいよ「アホウドリ」との出会いです。
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