写真からのポエム「生きる力」2017年12月

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イメージ写真からの
はがきサイズのポエム

「 生きる力 」

この木とは 京都の鷺森神社 ( さぎのもりじんじゃ )の
参道で出会った 神の使いの鷺がこの森に
集まるところから その名が付いた神社で
この木は じっとここに立ち 時の流れを感じ
この木は ずっとここに立ち 何を見てきたのか

この生命力豊かな 迫りくるものに
どう カメラを向ければ良いのか いつも迷う
「君に 私を撮れるかな?」と
言われているみたいで ……
とは言うものの 自身に折り合いをつけ
自分に納得できるように
一生懸命にシャッターを切る

これしか 私にはできない
これが 私の生きていく力なのかもしれない

今年一年 応援して頂きまして
本当にありがとうございました





写真からのポエム 2017年12月
「生きる力」

京都市左京区修学院にある鷺森神社の
参道で、この木に、出会いました。

▼ 下の写真を見てください。
本殿に行くまでの山道の写真です。


見上げてびっくり、
この木に見られている気がした。

カメラを向けてシャッターを押している間ずっと「君にこの私を撮影することができるか?」と問われている声が聞こえていた。

ちょっと回りながら
3回シャッターを切った。
その時の、1枚

3枚の中で、この写真と思った。
何故なのか解らないが、
私の直感です。
( 息子達によく言われています。私は、直感と勢いで生きていると)


その時に撮影した木の写真が、
▼下の二枚の写真です。

▼ やっぱり下の写真の方がいいですよね。



この木は、ここでじっと長い年月の中で人々の往来を眺め、立ち尽くしてきたのだと思うと、
思わず木の幹に手を当て「良く、生き延びて来たね」と声をかけてしまいました。

木の時間と人の時間。
このような木を見ていると、神性な気持ちが心の中に満ちて来る。
長く生きてきた木に出会うことにより、人は生きていく力をいただいているのではないかと・・・
無言の中に力を感じてしまう。


何か、伝わってくるものがそこにあるから、それを感じられる自分を信じて、
一生懸命にシャッターを切る
自身を信じて、無心にシャッターを切る。
私にはそれしかできない。

それが、私の生きる道なのだと思う。



神社とは、あくまでも人の手で作り出されたものであるが、
神が住まう空間を、
自然の木々たちが包み、守り、空気を清めてくれている事を思うと、
胸が熱くなる。



鎮守の森


村の鎮守の神様の
今日は目出度いお祭り日
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
朝から聞こえる笛太鼓


そんな村人達の声を、祭りの笛や太鼓の音を、
この木は、
いく年、聞いてきたのだろうか・・・

神社にお参りすること、それにより、人は、生きていく力を分けてもらっているのだと思う。





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