上橋菜穂子さんの本の心に残るページ 12「流れ行く者」

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流れ行く者 — 守り人短編集 —
「浮き籾」「ラフラ(賭事師)」「流れ行く者」
「寒のふるまい」を読んで

著者、上橋菜穂子さんは、「流れ行く者」文庫版あとがき「ひとつの光景」の中で、

辿って来た人生の中で、経てきた様々なことが、同じひとつの物語を、別のものに見せることがある。そのことが、私には、とても素晴らしいことに思えます。
アズノの気もちがわからなくても、少女のバルサが、彼女をずっと心に刻み続けていたように、年若い読者たちも、わからなかった、というその気持ちを、心に刻んでいてくれるかもしれない。そう思うと、胸の底がじんわりと温かくなるほどうれしいのです。

と、書かれています。


私の心に残ったページを書き出してみました。


*「浮き籾」

10ページ
長兄が、ぴしゃん、と後ろ手に戸をしめると、すん、と冷たい初秋の夜風も、夜の物音も家の外にしめだされ、粗朶が爆ぜる音が急に耳につくようになった。

20ページ 母がタンダにいう言葉。
「そうやって、浮かれて過ごして、みてごらん、結局、ろくなモンにゃならなかっただろう。長男だってのに、十六かそこらのときに、先祖代々の田畑を弟たちに押しつけて、街に逃げてさ・・・。お義母さんが、よくいってたよ。あれは浮き籾だってね。実がしっかり入っていないから、ふらふら浮いちまう。ちゃんと実ることもない、すかすかの籾だって」( 中略 )
「おまえも、どっか、ふわふわしたところがあるからねぇ、人さまから、浮き籾だって言われないようにせんと。
おまえは、三男坊なんだから、お天道様の下で汗水たらして働いて、あれはいい働き手だって言われるようにならなきゃ、いい婿入りの口もめぐってこないんだよ」
タンダは、うつむいて、つくりかけの笛を見つめていた。

69ページ タンダとバルサの会話
どういう事情か、よく知らなかったけれど、バルサがこんな暮らしをしているのは、追手から逃げているのだということだけは知っていた。( 中略 )
でも、バルサには、おびえて逃げている兎みたいな、細い糸が張りつめている感じはなかった。むしろ、追ってくるものに対して身がまえ、牙を剥きだして唸っている狼のような激しさがあった。
バルサは、じっとタンダに視線をもどすと、きつい口調で言った。
「祟りかどうかなんて、どうでもいいじゃないか。後ろめたいことのあるやつらが、騒いでいるだけさ。後ろめたいことがあるもんだから、山犬とでっくわしたり、害虫が湧いたりするたんびに、祟りだなんだって大騒ぎしてるんだろ。
くだらねぇ。—— 死んだ人に、ひどい扱いしちまって申しわけなかったと思ってるなら、祟り払いをしてくれなんて言いに来る前に、そのおんちゃんとかって人の骸を、ちゃんと葬りなおしてやりゃあいいじゃないか」
タンダは、思わずまばたきをした。


⭐️ タンダが暮らしている山里の日常生活が丁寧に描かれています。そんな中の落ちこぼれた人々と、村人達との関わりを胸の奥に潜む細やかな心の襞(ひだ)を残酷なまでに浮き彫りにしています。それが、「浮き籾」です。そして、バルサの「・・・ちゃんと葬りなおしてやりゃいいじゃないか」の言葉に、自身の胸の内にハットさせられるものがました。


それから、


*「ラフラ」(賭事師)

129ページ ジグロの様子。
酒場の用心棒として、部屋の隅にたたずんでいるときのジグロは、静かにそこにいるだけで、飲んで騒いでいるあらくれ男たちに一線を超えさせない威圧感があったが、休日に、ひとり古書を読んでいるときは、用心棒をしているときとはまるでちがう表情になる。その姿を見るたびに、バルサは父のことを思い出した。

137ページ バルサの様子
バルサは、ズカンの汚い脅し文句には答えず、じっとススット盤を見つめていた。腹の底から胸へ熱いものがひろがっていく。この瞬間が、バルサは好きだった。身体が熱くなり、頭は、すうっと冴えて、冷たくなっていく。

154ページ アズノとバルサの会話
バルサは顔をしかめた。
「え・・・そうかなぁ。逃げようと思っていると、腰がひけて気迫が半端になっちゃうよ。勝てる勝負も勝てないんじゃないかなぁ?」
アズノは、にやにや笑った。
「あんたらしい考え方だねぇ」
いってから、アズノはふっと笑みを消した。
「あんたの気性には合わないだろうけどさ、逃げるってのは大切な技術だよ。年寄りの言葉だ、覚えておきなよ・・・」

173ページ アズノの戦い方。
アズノは、その夜、戦士のコマは使わなかった。攻めるときは、旅芸人や隊商、暗殺者などの駒を使って脇から攻め、あとはひたすら、守りに徹した。
攻められても、攻められても、のらりくらりとかわし、サロームが領土を得る一手を打つたびに、金をはらわねばならぬように仕向ける。・・・ラフラらしい、一瞬もみだれることのない、狡猾な手で、アズノは、すこしずつ領土を失う一方で、着実に金を稼いで行った。


⭐️ この物語「ラフラ」(賭事師)は、読み終えた時からずっと私の心の片隅に残っている物語です。
物語に出てくる、ジグロの描写や、少女姿のバルサの生きざまが、また、アズノの息づかいが、「ラフラ」(賭事師)の物語に深さを与えている。
アズノのススットをしている時の描写は、素晴らしいの一言です。


次に、


*「流れ行く者」

220ページ ジグロの言葉。
ジグロはバルサの肩に手を置いた。
「自分の居場所は、自分でつくってこい」
バルサはうなずいた。

234ページ スマルがバルサに狩を教えている。
霜が降り、あちこち白く輝いている森の地面を指差して、スマルは言った。
「一点を見ないで、まずは全体を視野の中に入れるんだ。慣れてくるとな、獣の痕跡だけが感覚に触れてくる。そこにだけ、自然に目がいくようになる。・・・やってみな」
白い息を吐きながら、バルサは言われたとおりに地面全体を見ようとした。でも、何も見えてこなかった。——というより、怪しいと思える場所はあちこちにあって、どれもが痕跡に見えてしまうのだ。
スマルはバルサの肩にそっと手を置いて、すこし背をかがめさせた。そして、右手に生えている木の根本を指さした。
「みてみろ。・・・きらきら光っているものがあるだろう」
言われてみると、たしかに、なにか光っている。それがなにかわかって、バルサは、スマルを見上げた。スマルはうなずいてみせた。

240ページ ジグロがバルサに言った言葉。
—— おまえ、あの家で暮らすか。
不意に、耳の奥に、ジグロの声がよみがえってきた。
—— おれと、こんな暮らしをしていないで、あの家で、ずっと暮らすか。
病床に横たわり、天井を見ながら、そういったときの、ジグロの暗いまなざしを思いだした途端、ひんやりとした風のようなものが、胸の底に吹いたような気がした。
それは夕暮れの風のように、胸の底に物悲しさを残していった。

263ページ ジグロがバルサに話しかけている。
星空を見ながら歩いていたジグロが、不意に、指を天に向けた。
「おまえ、あの星の名前を知っているか?」( 中略 )
「・・・知らない」
つぶやくと、ジグロはしばらくだまりこみ、それから答えた。
「あれは、〈風邪の実〉なんだそうだ。・・・この時期になると、カルナはよく、あれを見上げちゃ、嬉しそうに、〈鵬〉(おおとり)が〈風邪の実〉をついばむ季節がきたな、と言ったものだ」
父の名を、ジグロが口にするのは久しぶりだったから、バルサは胸を押されるような思いで、だまったままジグロを見ていた。
ジグロはかすかに笑いをふくんだ声で続けた。
「あの星があらわれると、風邪が流行るんだそうだ。・・・あいつ、王都にきたての頃は、あまり金を持っていなかったからな。患者が増えるのが、うれしかったんだろう」
それきりジグロは口をとじ、ふたりはだまって夜道をたどった。霜が降りる音さえ聞こえそうな、静かな晩だった。

⭐️ この物語は、ジグロとバルサが、隊商の護衛士として働きながら、隊商の人々とのかかわりのなかで、いろいろな思いを抱きながら旅をしていく話です。



最後に、


*「寒のふるまい」

⭐️ この物語は、冬の間、食べ物が乏しくなった山の獣たちに、食べ物を分けることを、幼いタンダが、楽しそうに寒い中している姿がありありと描かれています。そして、それは、帰ってくるであろう、人影を待ち続けている姿でもある。


最後まで、読んでいただきましてありがとうございました。



「流れ行く者」の最後の解説において、幸村 誠(ゆきむらまこと)氏は、

日常生活、つまり、「あたりまえ」です。人々があたりまえの家に暮らし、あたりまえの仕事をし、あたりまえの物を食べる。囲炉裏の炎、カチの実の殻割り、鳥追い縄、父や兄の大きな背中。
ファンタジー小説においては省略されがちなそれら日常生活風景を、上橋菜穂子は丹念に描いてゆく。豊富な知識とアイデアが惜しみなく世界観の描写に投入されてゆく。例えるなら、城の土台の石垣作りです。土台がしっかりしていればこそ、その上にストーリーという立派な城を築くことができる。槍騎兵団が大地を駆け、密偵が跋扈し、精霊の大いなる力が様々な現象を引き起こすのも、この堅固な土台があったればこそです。

そして、

「かっこいい大人とはこういうものだよ」と、上橋菜穂子は示してくれているのです。
護衛士も、盗賊も、ラフラもゴロツキも農民も髭のおんちゃんも、みんな共に生きていていい。誰の居場所も奪わない。本当にかっこいい大人には「あたりまえ」も落ちこぼれもないのです。

最後に、

世界観に厚みを与え、主人公達にエネルギーを与え、読者の共感を呼び、人間の在り方に関わる深いテーマへと導く。それらは全て上橋菜穂子に「あたりまえ」を描き切る稀有な筆力があるからこそ実現可能なのです。

と書かれています。



⭐️ このブログをどのように書き進めていこうかと思い、読むときに付箋をつけていることろを読み返していると、また、別の行の言葉が気になっている自分に気づいた。
この物語が、いかに人生を語る言葉にあふれているかということを思い知らされた。




著者、上橋菜穂子さんは、「流れ行く者」文庫版あとがき「ひとつの光景」の中で、

経てきた経験のひとつひとつが、自分を、「いまの自分」にしていて、だからこそ、同じ物語を読んでも、「読んだとき」によって、まったく違うものが見えてくる。人生の様々なタイミングで読み返すたびに己の変化を感じられるような物語に、私はずっと心惹かれてきたのです。
「ラフラ(賭事師)だけでなく、本書に収められている物語はみな「老い」を迎え、人生の最後が見通せるところへ来てしまった人々を描いていますから、( 中略 )
子どもがやがて大人になり、自分の老いを自覚したとき、ふと、この物語を思い出して読み返し、自分の中の流れた時を感じていただけたら、これほど幸せなことはありません。

と書かれています。


⭐️ 私も、もうメガネをかけないとブログを作っていくことができなくなっていますが、また、10年後に、この物語を読もうと思いました。
その時、どんな言葉が私の胸に響いてくるのか・・・。
本当に、楽しみです。


前回の、「上橋菜穂子さまのほん 11 天と地の守り人 3 」の説明は、
Nahoko・Uehashi
「上橋菜穂子さんの本の心に残るページ 11 「天と地の守り人 3 」は、こちらから

次回の、「上橋菜穂子さまのほん 13  炎路を行く者 」の説明は、
Nahoko・Uehashi
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