炎路をいく者 — 守り人作品集 —
「炎路の旅人」「十五の我には」を読んで
著者、上橋菜穂子さんは、「炎路を行く者」文庫版あとがき「私の旅路」の中で、
冒頭、
姫路に向かう新幹線の中で、この「炎路を行く者」のゲラを読みました。(中略)
読み終えてゲラから目を上げ、遠くに広がる田畑の緑を眺めたとき、ゆっくりと胸に広がってきたのは、静かな安堵感でした。
まだ、大丈夫かもしれない。まだ、書けるかもしれない。—— 一年半ぶりに、そう思えたのです。
と書かれています。
また、
最後のところで、
この物語を書いた時から今まで、幾度となく読み返した物語です。(中略)
ゲラを読むうちに、私はいつの間にか、書いていたときに良く似た胸の高鳴りを感じ始めたのです。
まだ、死んではいない、と、そのとき思いました。< 物語の鼓動 >はまだ、私の中で脈打っている。かすかだけれど、まだ、生きている。そう感じることができたのです。
十五の我には見えなかったものが二十歳の我には見えるように、今は見えないものも、いずれは見える日がくるのかもしれません。そして、その時、私はきっと、新たな物語を紡ぐことでしょう。
と書かれています。
私の心に残ったページを書き出してみました。
「炎路の旅人」
漆黒の天に、銀砂をまいたように、星が散っている。
で、始まる。
13ページ ヒュウゴの思い。
——・・・運河沿いのあの家の屋根には、まだ、鳥が群れていたぞ。
走り書きのように、そう書かれているのを読んだとたん、運河から吹きあがってくる風に乗って舞い飛ぶ白い鳥たちと、その鳥たちに囲まれていた人の面影が目に浮かび、その人の匂いさえ感じられた気がした。
(そういえば、彼は行ったことがあったな、あの家に)
むかしのことだ。ずいぶんと遠い、むかしの。(中略)
なんとか歩みつづけることができたのは、胸の底に、いつも思いかえすことのできる温もりがあったからだ。
31ページ ヒュウゴが初めてタラムーにであった。
目をあけると、赤黒い空にもうもうと煙がたなびき、その中を。白く透きとおった白魚のようなものが、身をくねらせながら舞っているのが見えた。
(鉤爪があるから、魚じゃない)
そもそも魚が宙を舞っていることがふしぎなのだが、それをふしぎと思うほどの正気が、ヒュウゴには残っていなかった。
34ページ ヒュウゴとリュアン。
女は顔をあげて、ヒュウゴを見た。そして、そっとヒュウゴの首のまわりをなでた。そのしぐさを見て、ヒュウゴは自分の首に、まだあの変な生き物が巻きついていることを知った。女になでられると、その生き物は猫のように喉の奥を鳴らした。よく見ると、彼女の首にも透きとおったトカゲのようなものが巻きついている。
ほっとしている気持ちが、ヒュウゴの首に巻きついている生き物から伝わってきた。そのときはじめて気づいた。・・・これが、この女の思いなのだということに。
46ページ リュアンとヒュウゴ。
リュアンは、かいがいしくヒュウゴの世話をしてくれた。
顔つきも身なりも地味な、この年上の娘から伝わってくる思いは、穏やかで、真心がこもっていた。傷つき、毛を逆立てている獣でも、いつしか、うなるのをやめてしまうような自然なしずけさが、この娘にはあった。
手当てをしてもらううちに、しびれたようになっていたヒュウゴの心は、すこしずつ、ほんのすこしずつ、ふだんの感覚をとりもどしていったのだった。
48ページ ヨアルの言葉。
「わしらは見たとおりの貧乏暮らしだが、あんたさんひとりの食い物ぐらいはなんとかなる。今は、とにかく身体を休めて、な。
悲しいだろうし、タルッシュのやつらが憎くてならないだろうけども、そういうことや、先のことは、身体がよくなってから考えたほうがいい」
92ページ ヒュウゴの思い。
読み書きさえできない貧しい父娘だったけれど、ヒュウゴはいつしか、彼らのことを身内のように感じはじめていた。
あるとき、ふざけて「リュアン姉ちゃん」と呼んだら、思いがけないほどリュアンがうれしそうな顔をしたので、それ以来、ヒュウゴは彼女を「リュアン姉ちゃん」ヨアルを「ヨアルおじさん」と呼ぶようになっていった。
97ページ 一年が過ぎた、ヒュウゴの心の内。
この頃、ヒュウゴの心には、何か足りない、という思いがちらつくようになっていた。
同じことをくりかえして、日々が過ぎて行く。(中略)
ただ、働いて、食べて、眠るだけの生活が果てしなく続いていくのかと思うと、ときおり、わめきだしたくなる。
116ページ ヒュウゴの父の言葉から。
どんな暮らしをしていても、武人の魂だけは持ちつづけていようと思っていたのに、その思いさえ、いつのまにか消えかけている。心の底に必死に灯しつづけてきた小さな火が、ちらちらとゆれて、いまにも消えてしまいそうだった —— 。人を幸せにする、強き者。そんな者になれる路など、どこにも見えない。
171ページ オウル=ザンがヒュウゴに伝える言葉。
「おれのような下っぱは、頭のはるか上のほうで、権力のある人たちがやっている駆け引きの、小さな、小さな、使い捨ての駒なんだと。
飢え死なんかしてたまるか、と、そのとき思ったよ。
生きのびて、おれたち低い階級のものたちには隠されている、駆け引きのまっただなかに身をおいて、なにがこの世を動かしているのか見てやる、と心に決めた」
196ページ ヒュウゴの思い。
自分がなぜ、商いで身をたてることを考えないのか、そのわけはわかっていた。
いまもなお、自分は <ここ> には、いないのだ。
もう何年も下街に暮らし、ここでしか暮らせないのだとわかっているのに、まだ、ここが本来いるべき場所だとは思えないのだ。
いるべき場所からこぼれ落ちてしまったという思いが、どうしても消えていかない。たぶん、自分がこんなところにいる理由が、納得できていないからなのだろう。
215ページ ヒュウゴとリュアン。
ヒュウゴはなにも言わず、リュアンを見つめていた。
いくつもの思いが浮かんで、めぐったが、そのどれも言葉に出して言うことをせず、ただ、長いこと見つめあったいた。
やがて、リュアンが肩の力を抜いた。
—— 降っても照っても・・・、
かすかに苦いものをふくんだ、しずかな思いが伝わってきた。
—— わたしらは、ここで生きてきたし、ここで生きていくんだもの。
そう言うと、ため息をつき、リュアンは軟膏の壺に蓋をして、紐でしばった。
241ページ
もはや遠くなったあの人の白い首と、少年だた自分の首を結んでいた奇妙な魚。
炎にたわむれるあの魚はきっと、よく知っていたのだろう。—— 首に巻きついた少年が、どんな路を歩んでいくかを。
「・・・ついてこい、タラムー」
ヒュウゴは、つぶやいた。
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。
⭐️ 私も「違う、違うんだ、何かが違うんだ」と叫びたくなることがある。
自分でもよくわからないが、心に違和感だけがしっかり残されている。
人との出会いで人生が変わっていく。そんな運命とも言えるようなことを、あっさりと書き綴っていながら、その言葉には説得力がある。「炎路を行く者」を読んだ事により私の人生も少し変わっていった。
229ページに、ヒュウゴの心の内の言葉がある。
「おのれの足で立たねば、見えぬ景色がある」
今まで私は、家族に頼って生きてきた。
そんな私に「自分の足で立ち、新しい景色を見たい」と思わせてくれた物語です。
次に、
「十五の我には」
ピクッと身体がふるえて、その感覚で目がさめた。
で、始まる。
246ページ チャグムの言葉を思い出して。
多くの命を、その背に負わねばならない。
( あのくらいの年の頃なんて、わたしは人の命を背負うどころか、自分の命すら、まともに背負えなかった・・・)
ジグロに支えられてやっと、なんとか立っていたのだ。
(そのくせ、ジグロに面倒をかけていることが、嫌でならなかった)
なんと幼かったのだろう・・・。
260ページ バルサとジグロ。
バルサがたっぷり飲んだのを見とどけると、ジグロは、革袋の水で布を湿して、バルサの顔をふきはじめた。
「・・・いいよ。あした、自分で・・・」
言いかけたバルサを無視して、ジグロは、ごしごしとバルサの顔にこびりついた血をふきとった。
怒ったような顔で、血をぬぐってくれているジグロの目は、底なしに暗かった。ジグロが何を思っているのか、考えたくなくて、バルサは目をつぶった。
271ページ バルサの心を整える。
バルサは手足をゆるやかに動かして、息を整えた。そして、頭上に槍を構えるや、無言の気合いを発しながら、ふりおろした。
冷たい大気を裂くように、激しく短槍をふるううちに、全身から、靄のような湯気が立ちのぼりはじめた。悪夢の記憶も、心の底によどんでいるものも、すべて吐きだし、清めようとするように、バルサはひたすらに短槍をふるった。
天から星の光が消える頃、バルサは手を止め、ゆっくりと短槍を井戸ばたに置いた。
289 〜 290 ページ バルサ。
ぎゅっと腕をまわして自分の身体を抱き、足を縮めて、バルサはふるえていた。
このまま、ここにいたら凍え死ぬ。起きあがって、動かねば・・・。(中略)
—— 風が天を洗っていったんだ・・・。
耳の奥に、むかし聞いた幼なじみの言葉がよみがえってきた。
そのとたん、涙があふれた。
冷え切った頬に、あとからあとから熱い涙が伝った。
腐った下種たちと怒鳴りあい、犬や人を突き刺し、殴られ、びしょぬれのドブネズミみたいになってふるえている自分のくだらなさが胸にせまってきて、涙が止まらなかった。
292ページ ジグロの店に行ってバルサは。
冗談ではない。事情を話しにきただけで、助けてほしくてきたわけではないのだ。自分では、かなりの速さで走ったつもりだったが、裏木戸にたどりつく前に背後から襟首をつかまれてしまった。
もがこうとしたとたん、後ろ頭を一発はたかれた。ジーン・・・と、頭全体がしびれるほどの一発で、めまいがして、がくんっと膝の力が抜けた。—— そして、なにもわからなくなった。
296ページ ロルアの詩。
ふいに、大きな手がのびてきて、頭をおしつつんだ。( 中略 )
ジグロはそっとバルサの頭を揺すりながら、低い声でつぶやいた。
「・・・十五の我には 見えざりし、弓のゆがみと 矢のゆがみ、
二十の我の この目には、なんなく見える ふしぎさよ・・・」
うたうようにつぶやく声が、耳にこもって聞こえた。
「歯噛みし、迷い、打ち震え、暗い夜道を歩き通る、あの日の我に会えるなら、
五年の月日の不思議さを 十五の我に 語りたや・・・」
「・・・なんの詩・・・?」
つぶやくと、ジグロが、喉の奥で笑った。
「おまえが眠くなるといった、ロルアの詩だよ。ロルアは、弓作りの名工でもあったからな」
バルサは、そっと目をあけた。
ジグロは微笑を浮かべて、バルサを見ていた。
「そんな、借金しているような顔で、おれを見るな」
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。
⭐️ 十五歳の私は、何をしていただろうか?
私は、早生まれなので、十五歳は高校一年生です。ソフトボールクラブで毎日しごかれていた。くる日もくる日も、ボールを追いかけて過ごしていた。
そんな私に、今、67歳の私が告られることは・・・と考えてみました。
「よく途中でクラブを辞めないで、頑張ったねエ」と
本当に人間関係の辛い日々でした。
しかしながら、その経験があるから、今頑張ることができているように思えます。
⭐️ 私の大好きなシーンです。
店の奥の窓ぎわに、ジグロが座っていた。
肩肘をついて、食卓にひろげた書物を読んでいる。書物の脇に置かれた茶碗からは、かすかに湯気が立っていた。
夕暮れの光が、開かれた書物の紙をあわく光らせている。
著者、上橋菜穂子さんは、「炎路を行く者」オリジナルハードカバーのあとがき「支流の力」の中で、
「炎路の旅人」を、世に出すことができて、一つ肩の荷が降りたような気がします。
ヒュウゴという男の人生、彼を変えたものこそは、私が「守り人」シリーズで書きたかった< 核 >のような何かでしたし、なにより私はヒュウゴをとても愛していたもので、「炎路の旅人」を完全に葬りさる気持ちにはなれずにいたのです。( 中略 )
脳みそというのは、ほんとうに不思議なものですね。( 中略 )
一冊の長編であった「炎路の旅人」を中編に書きなおし、さらに、これもまた、かつて生み出しかけたままお蔵入りになっていたバルサの若き日の物語を、しっかりと書きなおして加えれば、世に出す意味のある本になる、ということが < 見えた > のです。
「十五の我には」も大好きな話で、まさか十五歳のバルサが、少年時代のヒュウゴを、こんな形で救ってくれることになるとは、なんと不思議なことだろうと思わざるをえません。
と、書かれています。
また、
著者、上橋菜穂子さんは、「炎路を行く者」軽装版のためのあとがき「聞こえてくる声たち」の中で、
物語を書くとき、私には、その物語世界に生まれ落ち、そこで生きていかざるをえない人びとの声が、ざわめきのように聞こえています。
ヒュウゴの声は、そういう、どうしても 消えていかない声のひとつでした。
生まれるべき物語は、たぶん、それなりの力を持っているのでしょう。
物語は、不思議です。書く、というより、生まれてくる。ヒュウゴとバルサ、ふたりの若人の物語は、そんな感覚を、私に、くっきりと示してみせてくれたのでした。
と、書かれています。
私は、「タラムー」が大好きです。
赤いトカゲのぬいぐるみに「タラムー」と名前をつけてしまいました。
赤いトカゲのぬいぐるみを「タラムー」と名前を呼ぶたびに、ヒュウゴを思い出し、リュアンを思い出しています。
前回の「上橋菜穂子さんのほん 12 流れ行く者 」の説明は、
Nahoko・Uehashi
「上橋菜穂子さんの本の心に残るページ 12 流れ行く者 」は、こちらから
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Torishimakikou 「品田穣の鳥島紀行」56年前のアホウドリとの出会い は、こちらから
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