「品田穣の鳥島紀行」 56年前のアホウドリとの出会い 10

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やっぱり、ふり返った


上の写真は、56年前に品田穣氏によって鳥島において実際に撮影された
「アホウドリ」の写真です。

この「品田穣の鳥島紀行」は、今から56年前 1964年 (昭和39年 )日本で第18回東京オリンピックが開催された年の12月に、気象庁の観測船「凌風丸」に便乗して船で鳥島に「アホウドリ」の調査に行かれた
品田穣 ( しなだゆたか ) 氏の実際の記録です。



もう時間がない、
彼女と彼女の仲間がなんとか平穏に暮らせるように、手助けをするにはどうすればいいのか?



私は、凌風丸に向かう艀の中にいた。
波に揺られながら、彼女との最後の、会話を思いおこしていた。


「アホウドリ」のコロニーは、手狭なハチジョウススキに依存して過密な状態に陥っているように見える。
彼女に、問いかけてみた。
「そうだろ、手狭になったからお前は隅っこで暮らしているのだろう」と
彼女は、首をあげて同意の仕草をした。
「どうしたらいい? 庭を広げたらいいかな」
彼女は、同意して首を上下に振る。

でも、何か言いたげだ、
「広げたくても、どうしようもないのよ」と
確かに、ハチジョウススキの群落も勢いが良いとは言えない。
元気なら、昔の武蔵野のように一面ススキが原になっているはずだ。
それが、ススキ特有の株立ちをして、隣との間に隙間があるところが多くて連続していない。


これは、連続を妨げる何かの要因があるはずだ、考えられるのは、遷移を妨げる外力、例えば、大雨による侵食で、ハチジョウススキの新たな株が出来にくいのではないか。
「そうだろう?」と
彼女に意見を聞くと、頷いてくれた。

それなら、侵食を防ぐ工夫をし、安定した土壌にハチジョウススキの株を植えてやれば良い。
株立ちでなく、地下茎で増えるチガヤが使えれば、より安定するだろうが、しかし、もともと生息して居ない植物は使いたくないし、チガヤは、ハチジョウススキより湿ったところが好きだ、火山砂礫の鳥島では無理だろう。


「ところで、君たちはどうしてもハチジョウススキが無いとダメなの?」と、彼女に聞いてみた。
「昔、何万羽も居た時代に、ハチジョウススキが原に覆われていたとは、とても考えられないけれど、クロアシアホウドリのように、砂礫にくぼみを作って巣を作れないの?」と、挑発してみた。

すると、彼女は、
「多分ハチジョウススキがなくても大丈夫よ、現に、私はハチジョウススキの外れに巣を作っているし、砂礫に巣を作っている子もいるわ」
と言う。

「そうだよな、パイオニアは常に新しい天地を開拓して来たよな」

この日の昼食は、いつものおにぎり2個と、梅干し1つ、それと、トビウオの干物が半身だった。トビウオはこの辺にもいる魚だ。
もしやと思って、私は、トビウオの身を細かくほぐして手の平にのせて彼女に
「食べられる?」
と、差し出してみた。
すると、彼女は、匂いを嗅いだ後、何と食べてくれたのだ。
私は、嬉しくて、そして、愛おしくて仕方がなかった。
しばらくの間、彼女の側で過ごした。

いよいよ、別れの時だ。


「頑張れる?」と聞くと
「うん」と、首を素直に振る。

私は、彼女を、ただじっと見つめた。

そして、私は、測候所に向かって歩き始めた。

少し歩いて、やっぱり、ふり返った。
振り返らずにはいられなかった。

振り返った私を、彼女は、見ていてくれた。

彼女の瞳の輝きを胸に、帰り道を何故か急いだ。

いつも通っていた景色なのに、最後かと思うと、また違う空気が、私を包んでくれた。


こうして、鳥島出張の仕事は、彼女の協力で無事終える事が出来た。


私は、凌風丸に向かう艀(はしけ)の中で
「アホウドリ」いや、彼女との触れ合いの中で見つけた、鳥島で、彼女と、彼女の仲間たちが安心して暮らしていける方法を思い起こし、
そして、それを、胸に刻んでいた。

太平洋に突き出た富士山のような玄武岩の山容は、なぜかやすらぎを感じさせる人類の原風景のように思えた。
そして、また懐かしさを感じさせる風景でもあった。

この翌年 ( 1965年 ) 火山性微動が頻発し、噴火の危機が迫っていた。
それにより、気象庁が鳥島の測候所を閉鎖し、職員全員引き上げとした。
そこから、この鳥島は無人島となった。




🐥ここまで読んで頂きまして、心から感謝申し上げます。

品田さまからの、写真と、原稿をもとに [「品田穣の鳥島紀行」56年前のアホウドリとの出会い ]を
Blog・Torishimakikou にて紹介させて頂きました。

私、自身、No.10にもなるとは思っていませんでした。
「Albatrossの空」のブログ 「品田穣の鳥島紀行 56年前のアホウドリとの出会い」を書き進めることにより、鳥島の歴史、「アホウドリ」の歴史を、ほんの少しですが知る事ができ、とても嬉しく思っています。

この場をお借り致しまして、品田穣氏に心からお礼申し上げます。


🐥 私達の、命が雫のように消えゆくとも、この鳥島は、何百年、何千年先には、火山活動も終わり緑に覆われて、南の大海原にポツンと残っているであろう事を思い描いた。
そして、私は、「アホウドリ」が、この鳥島で、何千羽、何万羽と、羽ばたいている事を、思い願っている事を、胸の奥に感じた。


最後まで、読んで頂きました皆様に心より感謝いたします。

ありがとうございました。




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