暮らしの日々から
気持ちのありかた
*5月1日
迷う。
世間では、
あまり良いようには言われていませんが、
迷うということは、
とても大切なことなのです。
答えを初めから決めつけないで、
迷いながら物事を、考えをまとめていく。
すると、
迷うというところで、
色々な選別が行われる。
その選別の時に、
あああでもない、こうでもない・・・と、
考えて、考えて、答えを導く。
これでいいのか?
後悔することはないのか?
自身の心に正直なのか?
迷うという過程が、
のちのちの自身の心の糧になる。
この時こうだったから、
あの時こうだったからと・・・。
経験の積み重ねが、心に貯蔵されていき、
こころの蔵が、大きくなっていく。
こころの蔵を育てていくには、
迷いながら、物事を進めていくことです。
*5月3日
本。
私は、本に付箋を貼ったり、
線を引いたりするタイプではありませんでした。
それから、
本の角が折れていたりすることも、
とても嫌いでした。
そう、過去形なのです。
私の父は本を読む人で、
それも、本に傷ひとつ付けずに読む人でした。
だから、
子ども頃、父の本には触らせてもらえませんでした。
私の本に対する心は、
そんな父譲りなのかもしれません。
そんな私が、本にいっぱい付箋を貼り、
段落のここまでと本文に書き込みを、
入れるようになった。
それは、
「上橋菜穂子さまのほん」のブログを
書くようになってからです。
*5月5日
しげちゃんの梅干し。
しげちゃんは、学生時代の友達です。
しげちゃんの実家は、静岡の清水で、
家からは、富士山が眺められるそうです。
しげちゃんの実家には梅の木があり、
毎年その梅で梅干しをつけているそうで、
私もその梅干を少しおすそ分けして
もらっています。
その梅干は、なぜだか、
弱った私を元気にしてくれます。
私は、時々胃が弱って、
食べれなくなる時がある。
原因はよくわからないのですが・・・
そんな時、しげちゃんの梅干しと、
お粥で元気を取り戻していきます。
最近、
しげちゃんの梅干には、
しげちゃんの、
魔法がかかっているのではないかと、
感じています。
*5月7日
行きつけの店。
久しぶりに
近くのお好み焼き「盛」に行ってきた。
「盛」は、息子たちが幼稚園の頃から、
行かせていただいている、
美味しいお好み焼き屋さんです。
まず、オレンジジュースを2本お願いして、
大人は、生ビール。
焼きそば 大、豚平焼き、
そして、豚玉を3枚、
それらを、みんなで少しずつお皿に取り分けて、
食べていきます。
その、オレンジジュースが年を経て、
チュ杯に変わり、
そして、生ビールに変わっていった。
美味しかった。
昔の思い出とともに、
食べるお好み焼きは、格別です。
「行きつけの店」の持つ、
醍醐味なのであろう。
5月9日
突き進め。
「地獄を経験しているなら、そのまま突き進め」
ウィストン・チャーチル
生きていると、
手かせ、足かせ、心かせ、と
色々な出来事が、
我が身にまとわりついてくる。
振り解いても、振り解いても、振り解けない。
身動きが取れなくなってくる。
また、
反対に、一人、また一人と、
我が身を離れていく。
つなぎ止めようにも、
もう心の手段が尽きている。
トゲのある言葉を、オブラートに包み、
顔をしかめながらも、
飲み込んではみるものの・・・
もう限界である。
そうこうしているうちに、
心の置き場所がなくなり、
心のよりどころが・・・と。
自分に自信が持てなくなり、
ついつい、
下を向いて日々を過ごしてしまう。
いや、いや、いや、
下を向いている場合ではないだろ?
自分の生きる道は、どこにあるのだ?
顔を上げて、前を向き、
自分を信じろ!
一人でも大丈夫だ!
そのまま、突き進め!
突き進んだ先に見えるものがある。
必ずあるはずだ。
突き抜けろ!
HeartStory 「ウィストンチャーチルの ことば」は、こちらから
*5月11日
大和尚さま。
月命日のお参りに、
大和尚さまがきてくださった。
上げてくださっているお経に、
気負いはなく、静かに、自然に響いて、
心にしみてくる。
これまで生きてこられた色々な出来事が、
お経の響きの中に含まれているのだろう。
大和尚さまには、
父と母の葬儀の際、とてもお世話になった。
手前味噌で申し訳ないのですが、
私が今までにいかせていただいた葬儀の中で、
(息子たちの学校のPTAなど、色々な葬儀)
父の葬儀ほど心に残っている葬儀はない。
心よりお礼申し上げます。
月に一度、
やはり、お経を聞きながら、
数珠を手に、手を合わせる時間は、
私にとっては大切な、
無くてはならない時間だと、
つくづく思いました。
本当にありがとうございました。
*5月13日
病気。
病気で入院した時、
気持ちが落ち込んで仕方がない毎日でしたが、
たっぷり本が読めた。
また、「人生の休息日」なのだとも思い、
ゆっくりと自身を見つめるいい機会になった。
入院しているということは、
献立の心配もなく、洗濯、掃除をしなくていい。
だから、
散らかっていた心の中の整理もできる。
何かを気づかせてもらえるチャンスなのです。
ものごとを、
心の目でゆっくりと見つめる意識を、
高めてもくれます。
病気とは、
自分自身との会話をする機会なのです。
病気とは、
とても大切なものが、
発見できるときなのかもしれません。
*5月15日
伝える。
一人ひとりが、誰かとつながり生きている。
たとえば、
家族であったり、
兄弟であったり、
友達であったり、
それから、
仕事仲間であったり・・・。
仕事仲間であれば、
協力して同じ方向に進んでいく必要がある。
そのためには、
不安にさせる前に、
なりゆきを伝える。
誰かが置いてきぼりにならないように、
ことの内訳を伝える。
心配させる前に、
ことの進み具合を伝えて相談する。
家族のあり方も同じことだと思う。
伝えることは、
ささいな事ですが、とても大切な事。
周りの人とのつながりを、
いつも心にかけていたいものです。
*5月17日
お箸。
我が家は、各自決まったお箸があります。
箸の先が細く、揃っている箸が好きです。
煮魚などを食べる時、
小骨をとったりするのに、
簡単に取ることができるからです。
それから、我が家には、
卵焼きを焼いたり、
お鍋でおうどんを作ったりするときに、
使うお箸サイズの菜箸があります。
( 普通の菜箸では長すぎて使いづらいから)
一人で、卵を焼いて、お昼ご飯と食べる時などは、
卵を焼いたお箸で、
そのままお昼ご飯を食べたりしていました。
洗い物が少なくて済むからです。
しかし、
最近気づいたことがある。
それは、
自分のお箸で食事をすると、
やっぱり、
美味しいと感じてしまったことです。
なぜなのか・・・
今までは、
あまり気にならなかったのに・・・
口触りがいいからかなぁ。
お箸も食事の美味しさに、
一役かっていたのではないか?
今さらかなぁ。
*5月19日
包丁。
日本料理で包丁に関して、
「切れ味」と言う言葉がある。
包丁の切れ具合で料理の味が、
変わってくると言うことなのであろう。
お刺身などは、その典型的な例では・・・。
今、私が使っている包丁は、
サツマイモなど、少し硬いものを切ると、
すぐに刃が止まってしまう。
時々、包丁をといではいるのだが、
玉ねぎのみじん切り、
キャベツの千切り、
などの時に、
その切れ味は、まざまざと現れる。
切れ味の悪い包丁だと、
玉ねぎが、キャベツが、飛び散るのです。
そして、
切れない包丁は、危ないのです。
指を切りそうになる。
切れ味のいい包丁の方が、安全なのです。
それから、
料理を作るスピードも全然ちがってくる。
今日は、包丁を研いで、
キャベツの千切りを作ってみよう。
さーて、
切れ味は、いかに?
*5月30日
ちょっと人生の休息。
持病が悪くなり、
点滴通院をしていました。
ご心配をおかけいたしまして・・・
また、書いていきます。
これからも、
よろしくお願いいたします。
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