母の三回忌に寄せて

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母の植民地から、やっと独立できた気がする


10月4日に母の三回忌の法事を無事に終えることができました。

ホットひと息

ある日、友人から、「三回忌を終えると、心がスッキリして前を向けるよ、そして、次に進めるよ ! 」

と言われました。その頃は、そうかなぁ‥‥‥と

言われている意味がいまひとつわかっていなかった気がする。

法事の少し前から、母を看取った時のことを思い出していた。

看護師の方から「ほら、こんな色になって来ているから」と言われた時のことが今も目に浮かんでくる。

手の指先が、紫色になっていた。

それから間もなくのことだった。

法要の時、和尚様の誘導で、孫から順番に一人ずつ、母との思い出を語っていった。

息子達は、小さい頃の事を多く語っていた。

私は、‥‥‥

姉と五つ離れているので、幾つになっても子供で

母と大人の女性同士として話をしたことがなかった。

姉とはよく話をしていたようだけど

私とは少し価値観が違っていて、いつも怒られていた。

今から思えば、子育をしている時も「父と母に怒られないように」との思いが強かった気がする。

父が亡くなってから、母は一人で暮らしていた。

介護が必要になってからは、「私が辛い時に助けてくれた母だから、ちやんと最後まで一緒にいなきゃ」

と思い、母のところに通っていた。

一度、家を先に出た母が、病院を間違えた時に、母を探し回っていた私を見つけて「たまきちゃん」と大きな声で名前を読んでくれた。それが、はっきりと名前を読んでくれた最後の声だったと思う。

そこからは、ほとんど話をしなくなった。

もう、なかなか歩くのが辛くなってきた頃、病院の玄関にある長い坂のスロープで、

母の車椅子を押している私に、

「降りて歩こうか?」と言った 母、86歳

「大丈夫だよ ! 」と言った 私、61歳

本当にいつまでたっても、私を、子供だと思っているのだなぁと

しかし、その言葉は、子供を守ろうとしている母親のかけてくれた言葉でもある。

もう少しだけ、大人の女性同士として話がしたかった。

母を看取って2年

心の植民地から、独立する事が出来たのではないかと‥‥‥。

やっと、前を向いて自分の価値観で生きていけるような気がしています。

以前、友人が言っていたくれた言葉が、実感として、心にしみてきて

「心のわだかまりの氷が解けて、水になって流れていった」

後は、私が、私で生きていく事だと思う。





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